当サイト開設にあたり 斎藤圭司 斎藤綾子 ドロンワーク刺繍作品集
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 2013年1月。
 父が亡くなった。 
 “がん”が見つかって、僅か3ヶ月後のことだった。

 亡くなる数週間前に、
 闘病生活のお陰で、仕事をしなくて済み、
 手が見違えるほど綺麗になった、これならドロンワークを直ぐにでも再開出来ると、
 手を翳しながら、幸せそうな笑顔で話していた父の姿が、ずっと忘れられない。


 父は31歳の時に、12歳年下の母と結婚した。
 その数年後、一旦自分の姓になった母と一緒に、夫婦で養子となり、
 母の実家の家業である、水道工事店の跡継ぎ息子となった。

 それまでは、ドロンワークの刺繍作家だった。
 “針”よりも重いものを持った事のない青年がいきなり、
 道路を掘削し、配管工事などをする、荒っぽいガテン系の重労働に就いたのだから、
 その転身は、どれ程大変なことだったかと察する。

 その後の生涯、父は水道業を貫き、祖父亡きあとは、小さな水道工事店の主として生きた。
 足掛け47年もの間、水道屋一筋だった。
 父が亡くなった直後、たくさんのお得意様から、立派なお花が届いた。
 仏壇のある和室が、まるで一面の花畑になる程、たくさんのお花を頂いた。
 その美しい花々を見た時、水道屋としての父を、認めて下さる方がたくさんいることを知り、
 嬉しく、有難い気持で胸がいっぱいになった。
 同時に長年、父が一生懸命働いてきたことを改めて感じ、涙が溢れた。

 しかし…
 娘の私から見て水道屋の父は、仮の姿か、虚像にしか思えない。
 ドロンワーク刺繍の職人。刺繍作家。 それこそが本当の父の姿だ。

 亡くなる何年も前から父は、自分の原点に戻って、
 もう一度ドロンワークをやりたい、と話していた。
 いつか水道屋を引退したら、晩年はドロンワークをやるんだと
 口癖のように言っていた。
 父の心の奥で、
 婿養子となり、ドロンワークを辞めざるを得なかった現実を、
 母・綾子に詫びる気持がある事を知っていた。
 言葉に出さなくても、そんな父の気持を察していた私は、
 その時が来たら、何でも惜しみなく応援や協力をしたいと父に伝えていた。
 父はそんな日が来るのを、いつも楽しみにしていた。

 もしも、もう一度ドロンワークが出来たら、若い頃の作品とは違う、
 斬新な新しい発想で作品を作るんだと、父は私に目を輝かせて話していた。 
 デザイン画を描いて、作品の構想を練ったりもしていた。
 私は作品は作れないけど、個展を開いたり、ホームページを開設したり、
 父があまり得意ではない、プロモーションやマネージメントを手伝うことを約束していた。
 親子二人協力して、父の作品を世に送り出そうと、話していた。
 夢いっぱいの、純粋な気持で…。
 そう語り合うことが、お互いに心の支えだった。
 その日はいつか、必ず訪れると信じて疑わなかった。
 日々の生活を頑張っていれば、やがてそんな日が必ず来る。
 叶わないなんてことは、考えたこともなかった。

 しかし…。
 何一つ叶えることが出来ないまま、父は逝ってしまった…。

 人一倍、健康に留意して生きていた父。
 まさか、こんなに早く、永遠の別れが来るとは…。
 「無念」というひとことでは語り尽くせない。

 家族のことを思いやり、生きてくれた父。
 婿養子になってから、人知れず苦労してきた父。
 家族に遠慮し、かしずき、
 なかなか自分の本領を発揮することが出来ないまま暮らしてきた。
 葛藤しながらも、そんな自分を最期まで貫き通した父。
 それ故に、父のささやかな夢を叶えてあげたかった。
 出来る事なら、一緒に生きて、父の夢を一緒に実現したかった。
 父が夢に向かって勇往邁進できる環境を、創り出してあげたかった。
 

 父にもっともっと生きていて欲しかった。
 心に大きくぽっかりと開いた穴は、なかなか塞ぐことができない。
 さみしい気持。悔しい気持。残念すぎる気持。無力無能な自分を責める気持…。 
 父のことを思い出すたび、
 行き場のない、様々な感情が湧いてくる。


 このサイトを、もし草場の陰から父が見たら、たぶん余り喜んではくれないだろう…。
 本当はもっと長生きして、新たなドロンワーク作品を、
 誰に気遣いすることもなく、心の赴くまま、自由に作りたかったに違いない。
 このようなサイトを立ち上げるより、それが一番だったはずだ。
 父は、このサイトの作品集は愚作ばかりで、
 それ以上のもっとすごいものを本当は作りたかったんだ、と言うだろう。
 過去のものを持ち出し、サイトを立ち上げても、父が思い描いていたこととは、かけ離れている。
 このサイトは決して、父の夢を叶えるものではない。 無念を晴らすものでもない。
 それを十分承知の上で、開設した。

 せめて、父が永い間、心であたためていても出来なかった「ドロンワーク」というものを、
 ささやかな形でも良いから、この世の片隅に遺しておいてあげたいと思った。

 実体のない場所かもしれないが、
 この場所で、亡き祖母と共に、ドロンワーク職人として生き続け、
 虚像ではない、父らしい姿で在り続けて欲しいと、心から願っている。



                                
2013年 父の日に
                                

         
   
父の最後の一枚となった写真。
入院中にリハビリに励む姿。
亡くなる15日前に撮影。
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KEIJI and AYAKO SAITO  the eternal gallery of Drawnworks embroidery